WAMAの『Da Kalam ( ده كلام )』を五回に渡って解読する三回目。
ついにサビ。ムハンマド・ヌールが高音で歌い上げたあと、全員で繰り返す。
لو حبك نار بدموعي تقيد
ラウ・ホッバク・ナール・ビッムアイー・ティイード
(ラウ ホッバク ナール ビッムアイ ティイー)
ラウは「もし」。
ホッブ( حُبّ )は「愛」。ホッバクだから「あなたの愛」。
ナールは「火」。
ビは前置詞の「〜で」。
ディムア( دموع )は「涙」の複数形。ディムアイーだから「私の涙」。ビがついているせいかビッムアイーと聞こえる。
ティイードは、「彼女」用の未完了形。主語「涙」が複数形なので女性扱いとなっている。語根は( وقد )で、火に関係がある。「より熱くなる」という意味で使われている。
[もし君の愛が炎なら] [僕の涙で燃え上がる]
愛がより大きく、また痛みを伴うものになるということ。
اجمل بكتير م الجنه بعيد
アグマル・ビクティール・ミ_ルガンナ・バイード
(アグマル ビクティール ミルガンナ バイー)
アグマルは「美しい」ガミール( جميل )の比較の形。ガミールはジャミール( جميل )のエジプト読み。
ビクティールは「うんと」。「多い」カティール( كتير )から来ている。カティールは方言で、標準語ではカスィール( كثير )である。
ミはミンの短縮で、「〜より」。
イルガンナ( الجنة )は「the天国」。庭も意味するのでむしろ「楽園」か。ミと音がつながってミルガンナとなっている。
バイードは「遠い」。女性形にはなっていないが、女性名詞の「天国」を指している。バイードの前で一度文が終わっている感じであり、あとから「遠い」を付け足したとするとこのように性が合っていなくていい。
[ずっと美しい] [遥かの楽園より]
愛がさっき言ったようなものなら、これに勝る美しいものはないということ。
و الدنيا دي ايه لو كنت وحيد
ウ_ッドゥニヤー・ディ・イー・ラウ・クントゥ・ワヒード
(ウッドゥニヤ ディー イー ラウ クントゥ ワヒー)
ウは「そして」。
イッドゥニヤー( الدنيا )は「the世界」。どちらかと言うとworldよりも「この世」のこと。
ディは「これ」。
イーは方言の「何」。
ラウは「もし」。
クントゥはカーナ( كان )の「私」用の形で、「〜だった」を言うときに使う。
ワヒードは「独り」。
[そして] [この世とは何] [もし僕が独りだったなら]
「〜だったなら」とは現在のことである。
وحعيش ازاي لو مش وياك
ワハイーシ・イザーイ・ラウ・ムシュ・ワイヤーク
(ワハイーシ イザー ラウ ムシュ ワイヤー)
ワは「そして」。
ハ( حـ )はビと同様に方言ならではの使い方で、未来にする動作などを表す。動詞によっては( هـ )の場合もあったりで少しいい加減らしい。
「住む/生活する」などを意味する( عاش )アーシャは「私」用の未完了形ではアイーシュ( أعيش )である(いずれも標準語)。
ハがついて「生活しよう」ハイーシとなっている(方言)。
イザーイは「どうやって」。
ラウは「もし」。
ムシュは「〜ではない」を表す。
ワイヤークは「あなたと一緒に」。ワイヤ( ويا )は標準語にもないしエジプトでも日常では使わない言葉らしい。でも、歌では出てくるということだそうだ。( مع )と同じ意味。
[そして] [どうやって生きようか] [もし君と一緒でないなら]
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