WAMAの『Da Kalam ( ده كلام )』を五回に渡って解読する最終回。
ファハミーがまた聴かせてくれる、二番の後半。
هناديك وف حضني اداريك
ハナディーク・ウフ・ホッニー・アダーリーク
(ハナディー ウッ ホッナダーリー)
ハ( هـ )は方言ならではの使い方で、未来にする動作などを表す。( حـ )とは一緒だと思われる。
「呼ぶ」の「私」用の未完了形アナーディー( انادي )にハがついている。最後のKは「あなた」。名前を呼ぶっていうこと。
ウフは「そして」の( و )と、「〜に」( في )を短縮した( ف )が連なっているだけ。しかし( ف )は聞こえないし、ファハミーさんの口を見ても発音していないようだ。
ホッニーは「私の懐」。だが頑張って聞いても( ي )は聞こえなかった。友だちによると省略されているそうだ。後ろの音とつながるせいでホッナダーリークと聞こえる。
アダーリー( أداري )は「隠す」で、「私」用の未完了形。
最後のKは「あなた」。何回も何回も出てきた。
[君を呼ぼう] [そして] [僕の懐に君を隠す]
要するに抱擁するということ。
وبغير من روحي عليك
ウバギール・ミン・ルーヒー・アリーク
(ウバギール ミン ルーハアリー)
ウは「そして」。
バギールはアギール( أغير )「私は羨む」にバがついたもの。
ミンは「〜から」。「〜を羨む」に使われている。
ルーH( روح )は「魂」。これも「私の魂」がルーヒーとは聞こえない。ここでも( ي )の発音は省略されているらしい。後ろとつながって、ルーハアリークと聞こえる。
アラー( على )には「〜のそばに」という意味もある。つまりアリークは「あなたのそばに」。
[そして] [羨ましい] [君のそばにある僕の魂が]
ولا يوم انا كنت ناسيك
ワラー・ユーム・アナー・クントゥ・ナースィーク
(ワラ ユーーム アナ クントゥ ナスィー)
ワがラー「〜もない/no」についている。
ユームは「日」でした。
アナーは「私」。
クントゥは「〜だった」の「私」用の形でした。
ナースィー( ناسي )は方言で、「忘れている/忘れてしまった」という分詞。動詞( نَسِيَ )からきている。
最後のKはもちろん「あなた」。
[そして] [一日も] [僕は君を忘れていたことはなかった]
以上、『Da Kalam』解読でした。
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